三校会議一日目〜揺らぐ女王の行き先は〜
花園はいつも変わらない。不変の光、不変の薔薇、不変の空。それを見渡す不変の部屋。
そこに座し、不変を守り続けるのが生徒会長の、女王の役目。
「どうして――」
だが、不変の世界は終わりを告げる。
花園の主は窓の外から見えるそれを見る。
本来の世界に存在しない、扉のない“塔”を。
時は少し遡り、三校会議一日目。
「私はねぇ? 起爆寸前の爆弾抱えてる人の気分って今の私と一緒だと思うのよねぇ」
白い机に頬杖をついて、巴絵は深い溜息と共にそう言った。
夢路管理センター、地下会議室。巴絵の眼前にはロの字型の白い机と、各辺に座る3人の学生。そのうちの一人が口を開く。
「つまり、巴絵様にとって私達が起爆寸前の爆弾であると、そうおっしゃりたいわけですのね?」
簡素なパイプ椅子に座っていながら、まるで貴族の応接室にいるかのような楚々とした雰囲気を纏う少女。
橘紅羽。聖フィアナの生徒会長としてこの場に呼ばれた彼女に、巴絵は悩ましげな笑みを浮かべた。
「理解が早いって良いわねぇ。それで、ちょっとは仲良くするって選択肢、無いのかしら?」
「人を見るなり噛みつこうとする猛犬と、男と分かれば毒を吐く魔女にどう仲良くできるというのかのう」
クスクスと嗤いながら扇子で自らを煽ぐ青年は柳霧弓弦。常に食えない笑みと言動をまとう彼だが、この日はいくらかそこに刺々しいものが混ざっていた。
「猛犬、というのは俺の事か?」
折り目正しく椅子に座った青年、彩月慧は冷ややかな目で弓弦を睨みつける。気弱な女性ならそれだけで悲鳴をあげそうなものだが、弓弦は皮肉めいた笑みを浮かべるだけ。
「ほれ、その目が既に攻撃的な犬じゃと言うに。もう少し愛想よくしたらどうかの?」
「微生物にも劣る無意味なやりとりで私の時間を浪費するのはやめていただけませんこと?」
両指で自らの口端を押し上げておどける弓弦を斬り捨てるように、紅羽はすました顔を崩さぬまま言い放った。滑らかな動作で入口の扉をしめし、普段自校生徒に見せる表情からは想像できない冷たい瞳で二人を一瞥する。
「やりたいのであればどうぞ会議室を出て私の視覚聴覚に触れないところでやっていただけます?」
「手厳しいのう。主が男に厳しいのはいつもの事じゃが……」
弓弦は言葉を切り、真剣な眼差しを紅羽にむける。
「今日のその態度は、それだけが理由かの?」
眼差しを受け止めた紅羽の表情は変わらず、ただ膝に乗せた手を微かに震わせた。
「なんの、お話しですの?」
「反応が遅れた所を見ると自覚があるのか?」
慧の言葉を受け、紅羽は表情を微かに不快そうに歪ませた。
「2人そろって私に矛先を向けるあたり野蛮で下劣な男らしいと思いますけれど、それを言うなら私もお二方にお伺いしたい事がありますわ」
「はいはい、にらみ合いはそこまでにしてちょうだい。ストレスはお肌の大敵なんだから」
気だるげに手をゆらせて巴絵が言うと、弓弦は座りなおして扇子で机を叩いた。
「ならば始めの一手は我が打たせてもらうとしようかの」
戻ってきた記憶の中で思い出したことがある。と弓弦は語り始めた。
「聖フィアナの背後、明松財団は富豪によって様々な活動に融資活動を行う慈善団体、というのが一般的じゃが裏の活動が存在する。その裏の活動が“魔術信奉”」
あらゆる魔術、奇術の類を存在すると狂信するカルト集団。それが明松財団のもう一つの顔。
「そもそもおかしな話であろう。夢路町に学校を作る必要があったのは、特権者を育てる必要があったからで教育的な信念からではない。なのに何故そこに財団が何の利益も求めず融資するというのじゃ?」
彼らにとっての利益、それが夢世界であり特権という「魔術的な要素の実在」というわけだ。
そこまでで限界だったのか、紅羽は勢いよく机を叩いて立ちあがった。
「たとえそうだとしても財団は生徒に何も干渉していません!会長として全権を持つ私が、橘の名にかけて保障――」
「だが先代に対してはどうだ?」
刃の切っ先を向けられたように、紅羽は表情を凍らせて慧を見る。そんな二人を見ながら巴絵は少し言いづらそうに口を開いた。
「弓弦ちゃんと慧ちゃんに言われて調べたんだけどねぇ……。去年こんなのが雑誌に載ってたのよ」
巴絵がPCを操作し、プロジェクターでスクリーンに映し出したもの。それは名前すら見た事のない、三流雑誌の切り取り記事だった。
『カルト教団による学校創設?! 魔女育成か?』
名前こそ伏せられていたが、制服、学校の写真が載っていれば分かる人には分かるだろう。紛れも無くそれは聖フィアナについての記事だった。
くだらないといえばくだらない、一般人であれば気にも留めない三流雑誌の小見出しだ。
だがそこに学生、もしくは近くに住む学生ならどうだろうか。面白がって広める可能性は否めない。
「本気にされないとしても、真実は真実じゃ。焦った財団が知る者達――学生の記憶を消すか、排除する事を先代に指示したとすれば――」
「あの方が、朱音様が圧力に屈し、自校の生徒すら手にかけるおろか者だと?! 侮辱も大概になさい!」
その言葉はもはや悲鳴に近かった。怒りに息を荒げる紅羽を巴絵がなだめる。
「ちょっとちょっと……熱くなりすぎじゃないかしらぁ。 全部記憶が戻った訳じゃないんだし、それが正しいとも限らないんでしょう?」
三校会議、一日目の事だった。
そして時は今に戻る。
「(もしも、という考えが離れない――っ。あの方を信じると、護りたいと言っていたのに、私は……)」
聴きたくない、見たくない。知りたく、ない。
そんな思いが脳裏にちらついた次の瞬間、ドクン、と強い脈動が紅羽の全身を震わせた。
「な、に? あ、これ、は――」
血が沸騰した様に熱い。呼吸が荒くなる。思わず胸を抑え、その場に膝をつく。
図らずも神に祈るかのような姿勢になった彼女は叫ぶ。
「違う、違います。やめて、これは――っ!」
誰もいない室内で、誰かにむけた紅羽の叫びは轟音にかき消される。
立っていられないほどの激しい振動と大地が割れる様な音。
だがそれはほんの数瞬の事で、何事も無かったかのように部屋は静寂に包まれた。
身を焼くかと思った血の熱さも、呼吸の乱れも、嘘のように引いていく。
ふらつきながらも立ちあがり、何気なく窓に視線をやった紅羽は今度こそ心臓が止まるかと思った。
それほどまでに目の前の光景は信じ難く、前例がなく、異質なものだったからだ。
「なん、なん、ですの……?」
先程まで無かったものが存在している。
時計塔、いや塔と呼べるかすら怪しいかもしれない。
出口も無く、窓も無い。壁には薔薇と鋭い棘の茨が巻きついている。
触れるな、立ちいるな、と訴える様なそれ。だがそんなことよりも重要な事が、彼女の口をついて出た。
「あんなもの、現実には――ないはずですのに」
オレンジ色の光を受けて建つ時計塔。その中で、何かがごそり、と蠢く様な気配がした。