虚実の杜〜自由の踊り手は夢に沈む〜

「あらあらまぁまぁ!なかなか向こうもやるねぇ!これじゃあほとんど記憶戻っちゃうんじゃない? あはははっ困ったね困っちゃうね!」

誰もいない夕暮れの校舎。そこに響く笑い声は困ったと言いながらも弾んでいた。少なくとも、隣に立つ綺羅川唖玖はそう感じた。
だから声の主、綺羅星加を一瞥してやれやれとわざとらしくため息をついてみせる。

「あなたの言葉って本当に危機感ないわよねぇ〜」
「いやいや〜焦ってるよ?でも人数的にも無理があるよね〜!向こう多過ぎ、超チートったら……」

くすくすと笑っていた星加の声は前から近づく人影を見つけて、尻すぼみに消える。

「焦ってもらわなければ困る。あれの記憶が戻ってしまえば厄介だからな」

無感動で無表情な、だがどこか苛立ちを含んだ様な声でその場に現れた国守は言った。

「ねぇ、厄介って何が? あなたもあいつもそう言うけど、私達には何が厄介なのか――」
「その心配は不要じゃよ」

突如介入した声に、3者の空気が一斉に張り詰めた。
一斉に振り返り、6つの瞳が彼を捉える。派手な羽織を身にまとい、カロン、と軽い木下駄の音を足元から響かせて。

「何せ、もう起きてしまったからのう」

夢路第一現生徒会長、柳霧弓弦はそこに立っていた。

「柳霧弓弦……っどうして、どうしてもう立って――。お前を刺したあれは――っ」
「我への負の感情を具現化したもの、じゃろ?」

驚きと憎しみの入り混じった表情で睨む国守の口元に扇子をあて、弓弦は笑う。

「よぅく知っておるとも。お主の刃は我への敵意。夢路第一に在籍する人間から向けられる我への敵意、疑い、妬み。それに形を成したものが、あれ。夢にも現にも存在しないお主のみが出来る荒技じゃな」
「荒技――?」

おかしい、と唖玖は首を傾げる。たしか、国守は夢世界に居なかった。
なのにどうして現実でそんな不思議な力が使えるのだろう。
だがその答えに辿りつくより先に弓弦が大仰に肩をすくめた。

「いやぁ痛かったのう。既存の生徒だけならまだしも、夢路は転入生が多かったからの。1人残らず敵意を抱かれているとなれば痛みも増すというもの――」
「……それを知っているという事は、ある程度知識を取り戻したようだな」

だが、と国守は言う。そんな事では何も変わらない、と。

「知ったところでお前は何もできないだろう。何せ語れば、身を滅ぼすのはお前たちだからな」

自滅する様な真似をする必要性すらないだろうと国守は言った。
揺らがない優位性を確信した口調。だが対する弓弦に悔しげな表情は無かった。
むしろそこに浮かんでいるのは、

「何も出来ない、のう……」

笑みだ。

「随分と馬鹿にされたものじゃの。破滅を恐怖すると? 我らが?」

いっそ凄絶とさえとれる、いつもの笑みとは明らかに質が異なるそれ。本能的な恐怖に誰もが言葉を返せずにいた。

「破滅に恐怖する様な人間ならばここの会長など勤めておらんわ。いいか、とくと聴け」

己の破滅など初めから勘定に入れていない、と彼は言った。
真っすぐな目で、躊躇いのない口調で、毅然とした姿で。破滅は恐怖ではないと言いきった。

「そう思っていたのなら、それは大きな間違いというやつじゃ」

馬鹿にされたと感じたのか、国守の瞳に微かな怒りが灯る。だが、それより先に弓弦が続ける。

「今までの人々が口を閉ざしたのは守るため。巻き込まぬため。だが、先代は戦う事を決めた。託された思いを語る事が我の役目ならば、躊躇う事など何がある?」

扇子を開き、面が地面と水平になる様に構える。何かをする気だと察したのか国守が動く。だが、遅い。

「幾千の夢を刹那の現に。第45代夢路第一生徒会長、柳霧弓弦は願う――。顕現せよ“百物語”」

視界が反転する。沈みゆく夕暮れの空は停止した黄昏の空へ。磨き上げられた校舎は廃墟のようなそれへ。
現実から夢世界へと変わり、弓弦は目の前の人物ににやりと意地の悪そうな笑みを見せる。

「これで分かってもらえたかのう? “二人とも”」

視線の先、先程まで国守が立っていた場所に居たのは夢寐だった。
憎しみを隠すことなく表情に出し、異形の手を音が鳴るほど強く握りこみ、真っすぐ弓弦を睨んでいる。

「ねー弓弦ちゃーん、お前国守に何をしたの」

軽そうな、だが濃厚な殺気を纏った声音。それに臆することなく弓弦は応える。

「売られたケンカを買っただけじゃ」
「あっはははは面白くなぁい―ー死んで!」

異形の腕を振りかざし、夢寐が跳躍する。弓弦は扇をひらりと軽く仰いで小さく言葉を紡ぐ。

「吹け。天狗風」

瞬間、局地的に吹き上がった風が夢寐の身体を煽った。
バランスを崩した隙をついて距離を詰め、首元に素早く扇子を移動させて突きつけ動きを止める。
首筋に当てられた扇子はナイフの様で、空気まで刃に代わったかのような緊迫感に星加も唖玖も手出しできない。

「もはやお主らに出来る事など何も無い。去れ。我はもう、選択した」

低い声で告げ、弓弦は現実に意識を戻す。
国守と再び目が合ったが視線の交差も一瞬で、話は終わりだとばかりに横をすり抜けて廊下を奥へ進んでいく。
ただ一人残された国守はしばらく無言で立っていたが、やがておもむろにポケットから携帯を取り出した。
歩きながら数回ボタンを操作して耳に当てる。コール音の後、出た気配を察知するなり国守は話始める。

「俺だ。共学の会長が裏切るぞ。この調子だと他も――困る?知った事か。それをどうにかするのはお前の――」

そこで一端言葉を切り、一瞬思案するそぶりを見せて再び口を開く。

「いや、お前は動けないんだったな。分かった。こっちでも手配する。だからお前はあの人に知らせろ。『ゲームを終わらそうとしている奴がいる』とでもいえば分かる」

通話終了ボタンを押し、国守は空を見上げた。徐々に夜へと変化していく空。全てが止まった夢世界とは違う、流れ続ける現実の世界。

「あいつらの望みなんてどうでもいい。俺はあの人の願う永遠を守る」

視線を落とせば、長く伸びた影が瞳に映る。

「お前もそうだろう。夢寐」

ぽつりと言葉をこぼすと、ほんの一瞬影が揺らいだ。
揺らいだ影はまるで、同い年の少女のような姿で――。

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