簒奪される夢〜意志無き刃は支配者に向かう〜

整頓されつくした室内というのは、見る者に空恐ろしさを抱かせる。
コンクリート壁にリノリウム床。スチールのロッカーに一分の乱れも無い書類。
一切の自然物が存在せず、人がいた痕跡すら感じられない部屋。
聖域の如く生命の気配を拒むそこを、生命の塊である人は本能的に拒絶するのかもしれない。
そんな無機質な空間、皐月院高校生徒会室の支配する「彼」の事を生徒達は噂する。
無機質な部屋に違和感なく同化する「彼」は、人ではなく機械なのではないか――と。

「機械であれば、こんな事態に奔走する事も無いのだろうな」

机上のパソコンを操作しながら、慧は口端に薄く自嘲の色を滲ませた。
画面上には彼や生徒がまとめたであろうデータが、いくつも分類されて映しだされていた。

「失われた7日間、意識不明の先代会長、そして――……」

慧は言葉を切って自分の手元に視線を向ける。小さな白い箱に入った黒いチップ。SDカードの様にも見えるが、表面には「AID」と書かれている。

「“アレセイア虚数定義パッチ”――」

ぽつりと呟き、慧は肘置きに頬杖をつく。このチップには見覚えがあった。
アレセイアの拡張用チップ。
各学校はアレセイアシステムの根幹を夢路管理センターから受け取り、各々の研究班が独自にシステムを組み上げる。
他校のアレセイアを起動しようとしても出来ない理由はそこにある。
そして皐月院高校のパトロンであるメイヤールグループ研究班は、バージョンアップしたアレセイアをチップの中にデータ化して保存し各生徒会長へ、それから生徒へ広げるという手段をとっていた。

『“AID”は以前迅会長のご指示で構想されたものです。ですが、』

先程電話したメイヤールグループ研究班の言葉を思い出す。
電話の向こうで研究員は戸惑った様に言葉を続けていた。

『データによると“AID”は起動しなかったようです。データは迅会長の希望
で彼に渡したようですが……』

失敗作と判断されたAIDの情報はほとんどが消去され、残っていないという。
先代の希望によって作られ、日の目を浴びなかった拡張チップ。起動しなかった失敗作。
何故そんなものを彼は、先代の迅会長は欲したのだろうか――。
意識を夢世界に向け、慧は箱の中からチップを取り出す。慧の特権でチップに干渉すれば、起動出来なくてもどのようなシステムが内蔵されているかくらいは分かる。
慧の足元に校章の紋様が浮かび上がり、特権が起動した――その、瞬間。

「――っ?!」

突如襲いかかった違和感は、慧から言葉という言葉を奪い去った。
浸食。
心身を蝕み、溶かし、吸い取られる様な強烈な違和感。それによく似た感覚を慧は良く知っていた。
己の特権。相手の特権に介入し、支配し、権利を奪い取る感覚、その逆。

「――く……ぁっ」

まるで己の特権が、内側から慧自身を食い破らんとする様な感覚に、慧の口から苦悶の声が漏れる。
起動しない、と言われたものが起動した。つまりデータは完全な嘘だ。ならば、何故そんな嘘を?
本来なら失敗作でも情報は残すものだ。なら何故データが残っていない?
椅子から転がるように崩れ落ち、それでも立ち上がろうと歯を食いしばりながら机の淵に手をかける。
残った力を腕に込めて身体を何とか起こして顔を上げた慧は、眼前の光景に痛みすら忘れて目を見開いた。

「あれ、は――」

窓から見えたのは、先程まで無く、現実にも存在しない灰色の建造物。
コンクリート打ちっぱなしで無駄な装飾が一切なく、まるで要塞の様だ。
だが、慧が見ているのは要塞ではなくその上空だった。
建造物の上空でカシャカシャと音を立てながら組み上がっていくもの。
本来、皐月院生徒会長のみが使用出来る特権。自学区において自校生徒を起点にレテへ放つ機械槍。
だが今その穂先が狙っているのは間違いなく生徒。
つまり彩月慧、その人だった。

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