鋼の視る夢〜機械の皇帝は魂を統べる〜
人は不完全だ。弱く、脆く、利用し、裏切る。
だからこそ、彩月慧は機械である事を願った。
理に通じ、情に流されず、決められた解に、己の理想に向けてのみ機能する機械に。
『俺は人の方が良いと思うな。何にも無いから、弱いから良いんだよ』
ほんの少し、だが今は酷く遠く感じるある日の事。
優しく諭す様に先代会長が言った言葉の意味を、まだ慧は掴めずにいた。
・・・・
「く……そっ」
無機質な室内に、苛立ちを含んだ悪態が響く。
彩月慧にとってこの一ヶ月は拷問だった。表向きは何も無い様に振る舞うが、身体は夢世界からフィードバックされる痛みに蝕まれ続けている。
「まさ……か、己の力に……苦戦する、とは――」
起動を解除する事も出来ず、己の精神力が日々摩耗するのを実感するだけの日々。
自分が屈すれば夢世界中に出現した槍が生徒達を一斉射撃するだろうことも分かっていた。
だからこそ、慧とて黙って取りこまれるつもりは無かった。
「ぐ――っ」
胸に一際強い痛みが走った。同時に夢世界上に展開されたどこかの槍が破壊された事を悟る。
基地と慧は細い線の様なもので繋がっている。
あれは暴走しているといっても慧の召喚物ということなのだろう。
だが、それに気づいても慧は「壊すのを止めろ」とは言わなかった。
「暴走しているのは、俺の特権。なら、俺自身がダメージを受ければ暴走の威力も弱まる――」
すなわち泥仕合だ。
暴走の威力が慧の意志を下回るか、慧自身の意志が壊れるのが先か。
(らしくないな。本当に俺らしくない)
本当は分かっているのだ。最も犠牲を少なく、最も早く事態を収集する方法。
簡単だ。召喚主が、彩月慧が死ねばいい。
早い段階からその答えは出ていたが、二つの思考がそれを実行に移させなかった。
(失われた7日間の記憶はまだ戻っていない。当日俺が何かを視た事は確かだ。それを失うわけには……)
一つは真実を探す事への損失を無感情に算出した論理的な思考。
もう一つは、要塞を通じて流れ込んでくる特権者達の強い感情だ。
望まぬ武器しか無く、逆境に立たされ、死が眼前に迫る場。
「この泡島吾聞、最期まで弱者を見捨てはしない…!」
倒れた少女の為に身体を張った彼の決意に。
「使い勝手は良いんだ。大人しく踊って魅せろ」
憂鬱な目で世界を見ながら馴れぬ刀と共に踊る少女の静かな闇に。
「ミオ、止めるの任せた!」
「おうっ!今度こそ――――≪ラン≫っ!」
互いを支え合い、信頼し合う少年達の絆に。
猛り、笑い、苛立ち、泣いた、彼らに、彼女たちに。
溺れそうな程の感情と共に刃を振るう特権者達に。
不覚にも、心を。捨てたはずのものを揺らされたのだ。
呪いを与えたくないと、彼らの行く先を見てみたいと、思ってしまったのだ。
「俺は機械である事を望んだ。定めた道の通りに進む機械に。」
右手にはめた手袋を脱ぎ捨て、慧は夢世界生徒会室の中央に歩み寄る。
暴走した力の影響か、時折黒い稲妻のような光が右腕の周りに奔った。
何にも屈さぬ力。全てを支配し、管理する力。彩月慧はそれを体現したはずだった。
「だがバグが現れた。機械はエラーが起これば止まる。それ以上先には進めない。機械である事を望むのであれば、俺はお前に喰われるべきだ」
共に歩む者など要らないと言った。
生徒の障害を排除し、正しい方へ導く機械であればいいと思っていた。
『俺は人の方が良いと思うな。何にも無いから、弱いから良いんだよ』
いつの日か、迅に言われた台詞。弱者の、馴れ合わなくては生きていけない人の戯言と一蹴した言葉。
「なんて様だろうな。俺とした事が酷く無様だ」
薄く、自嘲的な笑みを口端に滲ませ、慧は窓の外に広がる永遠の夕焼けを見上げる。
凍りついた瞳に光が宿る。静かな、それでいて芯から焼きつくすような、凝縮された熱を持つ光。
「結局のところ、俺は人でしかないようだ」
欲しいものの為に足掻いて、利用して、敵を踏みにじって、前に進む。
醜く、どうしようもなく強欲な、ただの人。
でも、だからこそ、
「何も持たぬから、不完全だからこそ――人は意志一つで何でも出来る」
忘れていた。ここは、特にそういう“場”だという事を。
慧の足もとに紋章が展開。
瞬間、暴走した特権がそこに干渉し、ノイズの様に光が乱れた。
縮れた光の隙間から黒い影が慧を食らわんと襲いかかる。
だが、慧はそれを――。
「逆らうな。雑魚共が」
――踏みにじった。
視えない化け物の首を掴むようにノイズの奔る紋章に右手を押し当て、慧は言葉を続ける。
「この力は俺のものだ。力も、この世界も、皐月院の生徒も、記憶も、全て俺のものだ。」
暴れまわる力に触れ、干渉し、侵し、受け入れ、制御する。
チップに読み込まれたデータの全てを無理やり捻じり、“反転”させる。
同時に流れ込んできた力の情報に、慧は小さく目を見開いた。
本来、召喚されるものは召喚主を一定以上離れて存在できない。もちろん生徒会長の特権も自学区のみしか展開されない。今回それを逸脱して他学区に召喚された男子校生徒会長の召喚物。
すなわち、遠隔召喚。迅会長が残したチップに込められた本当の使い方。
(なら、“これ”と相性は良いだろう。いや、元よりこれを見越して作っていたのだとしたら――)
解放はむしろ天命と言えるのかもしれない。
少し思案する表情を見せたのは数秒。小さく鼻を鳴らし、慧はチップに込める力を強めた。
「本来なら、これは残しておくべき力だ。だが、人間らしく賭けに出て見るのも良いだろう」
夢世界中に展開してしまった要塞の情報を全て読みとる。
壊れたものも多いが、止めただけのものもかなりの数残っていた。
それら全てを分解し、必要な情報を吸い上げ、分析し、新たに構築する。
「俺は真実を必ず掴み取る。誰一人欠けることなく、誰の策謀に踊らされる事も無く」
慧の唇が言葉を紡ぐ。固く、揺るがない、王者としての決意を口にする。
「そのためなら――神さえ愚弄し踏みにじってやろう」
紋章を食い破る様に現れたそれは、ある意味最も神を嘲る姿。
時代が時代なら悪魔の業と謗られただろう。
奇跡の降臨ではなく、知恵ある鋼の獣の創造。
一個体として無機物に命を吹き込む力。
「第30代目皐月院生徒会長として命じる。来い、“機獣”」
黄昏に吠えたのは、鋼の体躯を持った狼。
同時に、全ての要塞が崩壊し、何事も無かったかのように元の荒廃した夢路町が広がる光景に戻っていく。
その光景を見つめていた慧の脳に、ずきり、と不意に痛みが走った。
『これは、俺らの意地で、俺らの罪で、俺らの約束なんだ』
痛みに明滅する視界は唐突に掘り起こされた記憶を映す。
『何度繰り返されたとしても、諦める事だけは許されないんだ』
記憶の向こうで、崩れ落ちていく世界。
『本当は俺らで終わらせるつもりだった。でも、もうお前に託すしかないんだ』
その世界で、悔しそうに、悲しそうに、涙を流す迅。
慧の両肩に手を置いて、痛いくらいに力を込めて、彼は言った。
『頼む。終わらせてくれ。この狂った連鎖を』
終わらせてくれと。