融け合う夢と現〜ある少女の夢見る世界〜
数回のコール音。電子音の後に淡々とした声が耳朶を震わせる。『そのまま目覚めない方が世の中のためだったと推察するが』
「相も変わらず手厳しいのう彩月慧よ」
クスクスと苦笑を滲ませ弓弦は笑う。何を言っても意味がないと判断したのか、慧は電話口の向こうで小さくため息をついた。
『世間話は無駄だ。電話をかけてきたという事は、話すのだろう』
静かな声音。弓弦は微かに瞳を細めて扇子を口元に当てる。
「あぁ。そうでなければ刺された意味がないからの」
先月弓弦が展開した『虚実の杜』。記憶を一方的に消されることへの対策でもあり賭けでもあったが、弓弦にとってはもう一つ意味があった。
「ある契約で封じられた記憶。瀕死になってそれを取り戻す必要があったからのう」
『本来なら後継者へ継がれた記憶は新たな契約で再び封じられる。だが、今回はただ元に戻っただけ――』
慧の言葉を弓弦が引き継ぐ。
「契約を再び結ぶわけではないゆえ、記憶が奪われる事も無い。ゆえに、全てを開示する事が出来る。最も、我の知っている範囲の話じゃが」
慧は少しの沈黙の後、念を押す様に告げる。
『俺は、お前が何を知っているのかを知らない。だが、お前が、お前達が何かを受け継いできた事を語るというのなら、そこに含まれるであろう1つは推察できる』
一度言葉を切り、慧は問う。
『あれを聞いて、それでもなお戦おうとする者がいると思うのか?』
次の沈黙は長かった。弓弦は携帯を耳に当てたまま、窓辺へ歩み寄る。
見下ろせば、多くの生徒達が寮へと歩く後ろ姿。そこに何人かの特権者の姿を見つけながら、弓弦は口を開いた。
「我はのう、彩月慧よ。そこまで彼らが弱いとは思っておらぬよ」
先月、己の勝利を疑わない転入生達に、国守に言い放った言葉。『特権者達は手強い』その言葉に1つも嘘も無い。
次々起こる異常に恐怖すると思っていた。混乱すると思っていた。もしかすると学校から離れる生徒も出るのではないかとすら思っていた。
だが、彼らは目をそらすどころか立ち向かった。
何度も何度も、あらゆる困難に正面から向き合った。
「ここまで、彼らは必死に戦ってきた。大切なものの為、仲間の為、自分の為、それぞれが己らしく真実を求めてきた。なればこそ、我らが視界を遮るわけにはゆくまいて」
受け止めきれるとは思っていない。許されるだなんて思ってすらいない。
だが、それでもきっと止まらないだろうと思っている。歩みを止め、膝を折ってしまう事は無いだろうと信じている。
『随分と殊勝なものだ。先月まで断固として語る事を拒否していたというのに』
「喋ろうとしているのがばれると面倒じゃからのう」
口が堅いと言っておくれ、と弓弦がコロコロと笑うと盛大なため息が返される。
ほんのわずかな間、弓弦はおかしそうに笑っていたが、やがてふと笑みを消すと真面目な声で言った
「橘には既に告げた。主らの学校の者達に繋げておくれ」
『あぁ。――頼む』
短い返事の後、通話は切れる。数秒も経たないうちに何かが繋がった様な感覚。聖フィアナと皐月院、全ての特権者と意識がリンクする。
「やれやれ。何故我が貧乏くじを引かねばならぬのかのう。」
口はおどけていながら、表情はある種の覚悟を決めた者のそれで。
誰もいない生徒会室で、弓弦は大きく息を吸う。
「皆、聴こえるかの。あぁ、聖フィアナと皐月院の者は馴れぬかもしれぬの。まぁ今回限りじゃ。違和感には目を瞑っておくれ」
共有した意識のむこうから戸惑う空気を感じながら、彼は語り続ける。
「先月は苦労をかけた。詫びと言ってはなんじゃが、少し聞いてくれぬかの。内容は――そう、我ら夢路第一生徒会長が受け継いできた記憶に関してじゃ」
時が止まった。そんな気すらした。少なくともそれだけの衝撃がその言葉にはあった。会長達が受け継いできた記憶、それすら初耳なのだから。
「我らは代が変わる事に記憶を受け継いできた。確実に、秘密裏に。誰にも語ることなく継がれてきた記憶を」
それは本来明かす予定は無かった。だが、必要な事だと判断したのだと弓弦は言う。
真実を掴むためには、全てを知るには、その原点を辿る必要がある。
すなわち、
「――お主らの力、特権者の原点についてをの」
何か遺伝子的な素質とか、選ばれし魂を持っていたとか、そう言った事を考えた人もいたかもしれない。
だが、実際はあまりに単純な事だと弓弦は言う。
「端的に言おう。主らが特権者になった理由は、我らじゃ」
軽い口調で。だが、真摯に。
「我ら3校の生徒会長が、意図的に主らをあの夢世界に堕とし、アレセイアを通して力の一部を貸し与え特権者にした。つまるところ、元凶じゃな」
あまりにも重い事実を、柳霧弓弦は告げた。
「知っての通り、我ら生徒会長は主らといくつも異なる点がある」
アレセイアを必要としない召喚、視界の共有、生徒の強制離脱、活動範囲の制限、生徒会長だけ使える特別な能力。
生徒会長は別格だと思った人もいただろう。それが当然だと弓弦は言った。
「アレセイアを介して力をふるうのがお主らなら、ある者と契約して力を得たのが我ら。全く本質を異にする者だからの」
生徒会長とは、オリジナルであり巨大なデータバンクだと彼は説明する。
「ある者と契約して得た力、その1部をアレセイアを介して主らに貸し与える。我らの一部を所有しているのだから意識の共有も当然できるというわけじゃ」
思い返せば確かにおかしな点はあった。上級特権の開放に会長の同意が必要な事、そして7月に起こった特権の入れ替わる要塞。
「あの要塞は男子校の――彩月慧の領分。自身と能力が直結していないからこそ、他者の領分へ入ればたやすくそちらに染められる」
感情を排した声。無慈悲ともとれる口調だが、必死にそうあるよう努めているような気配もした。
どうして、と不意にどこかから声が聴こえた。誰のものかも分からないが、誰のものでもあったのだろう。
誰もが答えを待っていた。弓弦は静かに瞳を閉じて、落ち着いた声で答えた。
「その質問は難しいのう。答えとしては2つある。1つめはあるゲームに巻き込むため」
そして、と彼は続けた。
「もう1つは――矛盾するが、そのゲームから主らを守るため」
ゲームの対戦者は神だと弓弦は言う。
「我らと契約したある者――狂った神から、の。」
少し長くなるが、と弓弦は語り始めた。
これは、記憶――いや、記録だ。
人という媒体を使った、45年の記録。
犯した3つの罪と呪いの記録。