融け合う夢と現〜ある少女の夢見る世界〜

少し長くなるが、と弓弦は前置きして語りだした。
これは、記憶――いや、記録だ。
人という媒体を使った、45年の記録。
犯した3つの罪と呪いの記録。


全ての始まりは約70年前だと彼は言った。

「1945年。日本史を一応習ったお主らならば多少はピンと来よう。第二次世界大戦終戦の年じゃ」

連合軍に日本は敗北した。神であった天皇は人になり、焼け野原の中全てが終わった年。
だが、世間より隔絶されてきた“ここ”にはそのような事は瑣末な事だった。

「かつてここは――夢路は昔小さな村……いや、集落と言った方が正しいかもしれんの。本当に小さな世界だった」

山に囲まれ、広がる田畑の傍で作業する大人達。村より生まれて村へ還る。そんな小さな小さな世界。

「地図にすらのらない集落に1945年、ある少女が生まれた」

親の記載はない。記憶の中の文献に記されているのは少女の事だけ。
【その者祈りと共に眠り、夢路を辿って神の世界へ至る。万象叶える理想郷。彼女はその導き手也】
どんな願いも叶える少女は現人神と言われ、“ゆめじさま”と崇められた。
村の人々が願うのはほんの些細な事。今年も無事に作物がとれますように。子どもが健やかに大きくなりますように。
だがそれも長くは続かなかったと、彼は言う。

「時期が悪かったというしかないのう。当時日本は第二次世界大戦に敗戦してまもない。未だ天皇陛下を神と崇め、敗戦を受け入れられなかった者達は数多くいた。そんな者達が願いを叶える少女の存在を知ったらどうすると思う?」

それが第一の悲劇。
噂を聞いた暴徒達が集落を襲い、村人を次々と殺戮。理由は単純だ。ゆめじの存在を知る者達を全て消すため。たったそれだけの理由だ。
村人は突如現れて死を振りまく暴徒の死を願い、暴徒は村人の死を願う。
その場全ての人間が織りなす濃密な死の願いは、他者の願いをくみ取るゆめじを狂わせるに十分だった。

「肥大化した彼女の世界は、現実世界を呑みこみ彼らの望み通り全てに死をもたらした。だが、同時にゆめじ自身の命も限界が訪れた」

死んで現実世界で力を保てなくなった彼女は、死してなお己の作った世界に閉じこもった。こうして夢路町には現実世界と彼女の作った夢世界が鏡合わせで存在する事になった。

「それが――」

夢世界。歪んで狂ったおかしな世界の、始まり。
現実とそっくりなのは、ゆめじが世界に固執しているから。孤独を否定する少女が己の内に世界を作り、そちらを現実だと思いこむ事で必死に自我を保っているから、と弓弦は憐れみに似た笑みを浮かべる。

どれほど現実に似た世界を作っていても、人間だけは作れない。結局少女は孤独のまま――と。

「夢世界はゆめじの歪んだ願いそのものじゃ。死にたくない、一人になりたくないという己の願い。誰かの願いを叶えずにはいられないという欲望。一人になりたくないから現実世界に触れて人を堕とそうとする。誰かの願いを叶えずにはいられないから、現実の負の願いも叶えようとする」

おかしいと思った事は無いか? と弓弦は問う。
夢世界に何故レテなんていう化け物が徘徊しているのか。景色としては反転しているだけなのに、何故現実に居ない存在が徘徊しているのかと。

「あれが、現実生きる人々の負の願いをかなえた結果だ。誰かを傷つけたい。誰かを殺したい。誰かが不幸な目に合えば良い。そんな歪んだ願いをゆめじがとらえ、叶えた結果がレテじゃ。同時にやつらはゆめじの尖兵。レテ――対象を食らい、全てを忘れさせ、ただゆめじの傍にいてくれる人形を作り出す装置というわけじゃの」

だが、かつてレテの活動はごくまれだった。それこそ1年に一度神隠しですむ程度の。
そんな世界に興味をもった組織がいた。日本政府。「夢路第一中学高校」と「夢路第二中学高校」を作り上げた組織。

「夢世界にアクセスしやすいのは子どもじゃ。ゆめじ自身も子どもという共通点があるからじゃろう。故に、学校という存在は絶好の隠れ蓑だった」

彼らは夢世界にアクセスできる子ども達を集め、同時に居なくなっても不都合のない子どもたちも集めて巨大な実験場を作り上げた。
あわよくばゆめじにアクセスできる子どもを通して、色々な願いを叶えてもらおうとでも思ったのだろう。
夢路第一はゆめじとの交信を目指す優秀な適応者を、夢路第二はそれ以外の実験や餌となる子ども達をいれて。

「だが30年前にある事件が起こる」

それが第二の悲劇。レテとの融合を推し進められていた一人の少女が暴走し、当時傍にいた少年もその力に呑みこまれた。

「現実の肉体を失った少女は夢世界に、その影となる様に少年は現実のみに定着した」

そこで何かを言いかけようとして止め、弓弦は再び語り始める。
彼らは自分を実験体にした施設の人間と、選ばれた人間である特権者を殺そうとし始めた。辛くも撃退したが、後に残ったのは屍の山と絶望のみ。

『宝探し、しよう。鬼ごっこ、しよう』

目の前の惨状に嘆いていた夢路第一の生徒が聞いたのは少女の声だった。
ゆめじ、と大人が言う無垢で無邪気な少女の声。

『あの人達は死なないよ。たましいは私のお人形のどれかが持ってるよ。だから、ねぇ一緒に遊ぼう?』

多くの人の絶望に、狂気に、憎悪に、哀愁に、悲痛に触れたゆめじは本来の在り方をすっかり変質させていた。
お人形がある限り、皆忘れない。ここにきてくれる。沢山遊びたいなぁ。お人形もっとふやさなくちゃ…。

「夢路第二が崩壊した後、聖フィアナと皐月院が作られたのじゃ。それぞれが違う望みをもち、同じようにゆめじからの接触が合ったらしい。だが、何故か彼女のゲームのプレイヤーに選ばれるのは各学校1人ずつでのう」

恐らく彼女に、ゆめじにとっては本当にただのゲームであり、遊びなのだろう。だから1対1。
だが、そもそもがアンフェアなゲームだ。
堕ちていく生徒達をたった一人で救う。しかも舞台である夢世界は強力な死の、破滅の願いによって膨れ上がった世界。長い事いれば少しずつ命を削られていく。

「願うものが居なくなれば力も弱まるが、いつの時代もそういった願いは無くならなくてのう」

堕ちる人は日々増えていく。たった3人では対抗できない。人手が足りない。
そこで3校に提案されたのが今のシステムだ
生徒会長が本来の夢世界――ゆめじの世界で彼女と契約をする。そして夢世界の中に己の領域を作り、そこに自分の手ゴマとなる人物を、生徒を堕とす。
アレセイアというシステムを介して自分の力の一部を生徒に与え、特権者として戦ってもらう。

「つまりの、主らが行き来している夢世界というのは深海を漂う潜水艦のようなものでの。領域外に出れば、世界を覆う呪詛に食われてしまう」

会長達の領域に堕ちれば気配が追える上、戻す事もたやすい。また、無意識であれ意識的であれ、夢世界に対する否定的な感情があればゆめじは容易く堕とす事が出来ない。
だが会長の領域とゆめじの世界は極々薄い膜で分かたれているにすぎない。一線を越えて堕ちてしまう生徒は防ぎようがなく、堕ちた生徒を引き上げて助ける必要があるのだからレテの侵入を拒めない。
また、夢世界への侵入による魂の摩耗を代わりに受けるため、会長達は何倍もの精神ダメージを追い続ける事になる。
どれほど屈強な精神力をもっていても耐えられるのは一年。こうして生徒を守った代わりに全てを削られた会長は自身の記憶も他人からの記憶も全て失って人形になり果て、新しい会長がまた全てを負う。

「だからの、会長だけは堕ちた人間の名前を全て覚えているんじゃ。自身が一線をこえているから、完全に堕ちて忘れ去られた者の名まで全て、の」

例えば、と弓弦が息を吸い込む。

「1978年、江兎 朔。1987年、須賀谷シグマ。1989年、鉄羽 和豊」

一息に上げられた言葉の羅列は、聞きおぼえがあるものばかりだった。

「皆強く、勇敢で、優しく――誰も犠牲にせまいと命を賭けた者たちじゃった」

過去形。そして、言外に彼は告げる。彼らは己の先駆者達だったと。
一つ長い息を吐いて、いつもと変わらぬどこかおどけた調子で弓弦は再度語る。

「つまり主らが夢世界に堕ち、特権者として戦う事になったのも、全て我らのせいということじゃ。我が主らを意図的に堕とし、力を与え、堕ちた生徒を救うために利用していたのだから」

憎いか、と彼は訊いた。何食わぬ顔で利用していた会長を、軽蔑するか、と。

「それでも先代を――椿会長達だけはけなさないでおくれ。先代はこの狂った輪を止めようとした。夢世界を利用したい背後組織の意図を無視し、夢世界を終わらせようとしたのだから――」

だが、彼らは敗北した。7日間に何かが在り、敗北し、夢世界は続いた。
ここから先へ行くには、まだ欠片が足りないと弓弦は言う。

「利用していた事は事実。隠しようもないからの。これからどうするかはお主ら次第――」

そこで、違和感があった。
何かを根こそぎさらわれる様な。例えるなら、砂山を丸ごと海にさらわれる様な。

「これは、そんな――っ」

生徒達の気配が。

「ゆめじ、の――?!」

消えていく。消えてしまう。恐ろしいほど一瞬に。だが永遠すら感じられるその瞬間に。

「まさか、目覚めたとでも――」

あまりに突然断たれた繋がりが信じられず、蒼白の表情で弓弦はこぼす。だが、次の瞬間怒りを滲ませた表情で誰とも繋がっていない、だが先程までつながっていた微かな線を辿って叫んだ。

「戻ってこい、戻ってくるんじゃ! 誰一人としてお主にはやらんぞゆめじ――!」
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