嵐の始まり〜悪夢の少女〜

残暑の日差しが差し込む生徒会室。およそ一ヶ月ぶりに賑やかさが戻った校舎の一角で、紅羽は整った眉間をしかめて書類に目を落としていた。

「転入生が特権者、ですか……」

手元の書類は、9月1日から転入してきた生徒についての身辺調査資料だった。過去のデータが一切なく、血縁関係も空白。名前と年齢以外の全てが空白という異例の生徒データ。
そんな転入生達が夢世界に現れ、敵対してきたと木乃原りさは語った。

「うん。夢世界で会った時になぁ、ちょっと変わった力使ってたぞ〜」
「変わった力?」

紅羽が首を傾げて顔を上げると、りさは両手を前に突き出してぶらぶらと揺らした。

「そうそう。何て言うか……ふらふら〜っと生徒がその子に吸い寄せられてったんだ〜」
「えぇ。まるで操られたみたいに。レテを倒すどころかわたし達を仲間討ちさせようとしていました」

仲間と相対した時の事を思い出したのか、表情を曇らせながら法月鈴穂が付け加える。
どうやら転入生による襲撃は1件2件ではないらしい。しかもその誰もが、生徒達が使う力と異なる力を行使しているようだ。
その隣に座る宮下和香も現場を目撃した一人らしく、腕を組んで唸り声をあげる。

「女子校って魔法使いと伝承付与と神話再臨、ですよね? 魔法使いの力なのかなぁ〜……」
「いいえ」

和香の推測を否定したのは紅羽だった。即座の、そして明確な否定に室内にいる三人の視線が自然と集まる。
紅羽は書類に視線を落したまま、固い声音で告げた。

「ありえないわ。彼女達は特権者ではないのですから」

静かな衝撃が室内を震わせる。紅羽は一瞬何かを迷う様に視線をさまよわせた後、瞳を閉じて言葉を続けた。

「聖フィアナの特権者達と私は繋がっています。どこにいるかも、どんな力を持つかも把握してますわ。でも、彼女達が夢世界にいた事も、対峙した生徒の視覚共有がなければ知りえなかった」

紅羽の知らない特権者はいない。つまり、転入生達は特権者ではない。
ならば、彼女達はいったい何者だというのか。

(他校からの密偵……はありえない。この転入届は聖フィアナによって受理されている。この件に限って虚偽は出来ない。なら、何故? 私が把握できない、影響も及ばない聖フィアナの特権者……?)

生徒達が帰り静寂の戻った生徒会室で紅羽は思考に沈む。

『あはっ! そんなに怖い顔してたらせっかくの美人が台無しよォ?』
「――っ?!」

息を呑んだ。突如響いた嘲笑する様な声が聴こえたかと思うと、景色が反転する。
全く意識しないまま夢世界に引きずり込まれたという事実に、紅羽は血が冷えていくのを感じた。

「こーんにちはっ! そして初めまして聖フィアナの女王様!」

それは少女だった。
腰より長い白く透き通った髪。その内側は夕焼けの様に橙色の光が揺らめいている。
好奇に輝く碧の瞳の左は白髪に隠され、細く華奢な手足。これだけを見れば可愛らしいだけで済んだだろう。
だが、彼女の全身から放たれているのは、それと真逆の禍々しいオーラだった。

「お肌すべすべだし髪綺麗だし、ほーんと素敵! あたしとは全然違うのねェ!」

そう言って少女が差し伸べた右手と右足は、岩を無理やり削りだしたような姿をしていた。
加えて白い肌を蝕む様な肌の所々に入った漆黒。

「貴女は――」

いつでも特権を発動できるように警戒を怠らぬまま、紅羽は言葉を絞り出す。

「貴女は一体……」

それは無駄な問いだと紅羽自身が分かっていた。聞かなくても分かる。本能が嫌というほど告げている。

「あたし? あたしは――」

彼女は化け物だ。そして、

「夢寐。ムビちゃんって呼んでも良いわよぉ?」

敵だ。

「“プロメテウス”!」

叫ぶように召喚物の名を呼び、一帯を業火に包む。少女の身体は欠片も残さず燃えつくすはずだった。だが、少女――夢寐は嗤った。

「アッハハハハッ! 遊んでくれるの?!」

夢寐がステップを踏むように軽やかにターンすると、空間を切り裂くように現れた大量の水が炎を呑みこんだ。
辺り一帯を包み込む蒸気に髪を乱されながら、紅羽はもう一つの力を呼ぼうと口を開く。

「“セードゥリウス――”」
「あたし薔薇ってきらーい。枯・れ・ちゃ・え」

一瞬だった。夢寐の足元に現れた紅羽の薔薇が、蹴られただけで枯れ落ちる。

「もーおしまい?」

退屈そうな夢寐の言葉をうけ、紅羽は奥歯をかみしめる。
特権にも相性の良し悪しはある。紅羽の力とて例外ではないが、相性の悪さを加味しても勝つのが生徒会長たる所以なのだ。
それを、聖フィアナ生徒会長である紅羽の力を夢寐はいともたやすく無力化した。
彼女が本気を出せば、やられるのはこちらだ。だが、全く収穫が無いわけではない。

「貴女、特権者ではありませんわね」

紅羽の確信を込めて告げた言葉を受け、夢寐は無邪気さと残酷さの合わさった笑みを浮かべた。

「さぁ、どうかしらぁ。私達の方がよっぽど本物だとおもうけど?」

問いに紅羽は答えない。
だがそれを気にした様子も無く、夢寐は窓辺に歩み寄り、変わらない黄昏を背景に少女は両手を広げた。

「どうせ運命は変わらないんだから遊びましょう? ね、“嘘つき”の女王様!」

溶けるように消えた夢寐。その名残を見つめる紅羽の手は、固く握られ震えていた。

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