孤高の支配者は夢を見ないー私立皐月院中学校・高校ー
ある者が尋ねた。「夢とは何か?」
彩月慧はこう答えた。
「目標だ。必ず果たすべき己の形。叶えられない夢などただの逃避だ」
ゆえに、と彼は言う。
ゆえに、夢に意味は無い。研鑽し、競い、形にしなければ存在しないのと同じなのだから。
警告を示すアラート音が室内に響き、彩月慧は薄く目蓋を開いた。
酷く冷たい印象を放つ青年だった。
雪の様に白い肌に細身の体躯。だがやせ細っているのではなく、鍛えられ引き締まったものであることが制服越しからもうかがえる。
感情を見せない冷ややかな顔立ちは彫刻の様で、その中で青い瞳だけが鋭利な光を宿していた。
慧の眼前に展開されているのは青白い光を放つ画面。
いくつもホップアップされた画面にはそれぞれ生徒の名前とデータ、その人物の位置を示すであろう丸い点と地図が映し出されている。
そしてそれらは液晶も映写機も使わずに空間に直接展開されていた。
「三木谷、その角をまがった先に一般生徒がいる。接触してそのまま離脱しろ」
画面に触れ、その場にはいない誰かに向けて慧は言葉を紡ぐ。
立体映像の様に宙に浮く画面も、機械を使わず遠くの人間に言葉を届ける事も、この世界を知る者にとっては珍しくない。
この世界――夢路町にのみ存在する異世界『夢世界』を知る者にとっては。
公式記録としては約30年前。
その存在に名をつけたのは名もなき研究機関だった。
自然災害的にこの世界と繋がり、人の意識を取り込む夢世界にこちらから接触は不可能と思われていた。
だが、13歳から18歳の間までの子どもたちの中の一部に、双方の世界に自由に行き来可能な者たちがいる事が発覚。
その他にも夢世界においてある特殊な力を行使できる彼らを、研究者はこう呼んだ。
夢世界において世界を改変する『特権』を所持した者――『特権者』と。
「北落師門、迅速に現状を報告しろ」
椅子に座り、幾つもの画面の中で赤く点滅している物を眼前にスライドさせて慧が問いかける。
彼がいるのは夢路市に立つ私立皐月院高校生徒会室。
無論、現実のではなく夢世界の、だが。
特権者の存在は非公式に一部の組織に通達され、研究したいと名乗り出た3つの組織は学校という形で特権者達を募っていた。
今や世界にその名を轟かす企業メイヤール・グループの支援を受ける皐月院もまた特権者達の通う学校の一つであり、生徒会長たる彩月慧は自校の特権者達をまとめる立場でもあった。
『今それどころじゃねーっての!』
荒い声に微かな焦りをにじませた声が慧の脳裏に響く。
眼前に展開されたいくつもの画面は、夢世界にいる自校生徒の居場所や視界を共有するという特権を可視化したもの。
今その画面の1つには化け物、レテの群れに襲われて敗走を余儀なくされてる北落師門ういの見る光景が映し出されていた。
この特権は遠く離れていても会話が可能だが、視界はテレビの画面を見ている様に自らの意志で動かせるわけではないし、思考が共有できない以上生徒自身の現状を把握するには会話に頼る必要がある。
それらをわずらわしく感じたのか、慧は小さく舌打ちした。
「水谷、探索を切り上げて北落師門の援護にむかえ。あれはまだ力に馴れていない」
『え、俺? あーはい了解。どこにいるんですか?』
ほんの一瞬めんどくさそうな声を上げたが、危機に陥ってる生徒がいると聞いてすぐさま思考を切りかえたようだ。
行き先を聞きボウガンを召喚して迅速に移動する真信を確認し、慧は次の画面に視線を映す。
『あはは……さすがにちょっとピンチってやつかなぁ……』
汐乃の乾いた笑い声が慧に届く。だがそれは彼に向けたものではないただの独り言。
共有した視界の先、汐乃の眼前には黒い波の様に大量のレテがいた。
それだけならまだどうにかなっただろう。
問題は彼自身が袋小路に追い詰められていた事だ。
慧は少し思案する様に指先を口元に当てたかと思うとおもむろに立ち上がり、右手にはめた黒い手袋を外す。
「東海林、生き残りたければハンマーを離すな」
『え……』
問う様な汐乃の声に答えを返す事は無く、慧は右手を前に出す。
その足元に校章と同じ紋様が出現し、淡い光を放った。
「対象を解析、プログラムに浸食、ユーザー情報を一時的に掌握――」
さながらネット世界でハッキングをしかけているように、かざした右手の周りにいくつもの画面が現れては消える。
視界に入ったもの全てに干渉し、支配する特権。『独裁支配』と呼ばれた彩月慧自身の特権。
「全権は掌握した。眼前にある全てのものは“俺に従え”」
低く、重く、支配的な声音。
一瞬の抵抗も許さない絶対的なその台詞に身を震わせた汐乃だが、次の瞬間突如動き出したピコピコハンマーに、ぐん、と身体を引っ張られた。
「わっ――?!」
ピコピコハンマーは意志を持つかのようにレテへ肉迫。
飛びかかるレテの横っ面を殴り飛ばし、振り向きざまに蛇腹部分で迫りくるレテを突き飛ばす。
勢いは止まらず次のレテを掬いあげる様に打ちあげ、流れる様に最後のレテを薙ぎ払う。
「腕が、足が動くのならば、諦めるより前に進め。進まなければ得るものなど無いのだからな」
袋小路から転がり出た汐乃に淡々と言い、慧は右手の周囲に浮かんでいた画面を振り払う様にして消した。
再び前へ右手を向けると、今度は手首の上に校章の紋様が浮かび上がり、共有した汐乃の視界の先に虚空から溶け出る様に機械の槍が姿を見せた。内蔵された歯車などがこすれてカシャカシャと金属音を立てるその槍が示す先は、先程の袋小路で蠢くレテの群れ。
皐月院高校生徒会長のみに与えられた特権。自校生徒を起点にして放つ鋭い槍の一撃。まるで沙汰をくだす皇帝の様に、慧は共有した視界の向こうのレテに告げる。
「敵と罪人にかける情けは無い。消えろ雑魚共」
切り捨てるような声と共に手首の上に浮かんだ紋様が脈動する様に震えてかき消える。
と同時に機械の槍が弾かれた様に射出され、レテの群れをまとめて貫いた。
風圧で地面を削り、ぶよぶよしたレテの身体を貫き、捩じ切り、引きちぎる機械の槍。
突き当たりの壁に突き刺さって霧散した後には、抉れたような痕跡以外何も残っていなかった。
生徒の危機を示すアラートが消え、静けさの戻った生徒会室。再び椅子に腰かけながら、慧は短く息を吐いた。
「まだ見えない、か」
その言葉が指すのは慧の中の記憶。故意に消されたであろう昨年末7日間の夢世界に関する記憶。
何かを決定的に変えたその現場に、限りなく真実に近い場所にいたはずだと告げる無意識の声を証明する記憶はまだ戻っていない。
「迅先輩。貴方は協力なくば果たせないと言ったが、俺は別の道を行きます」
この場にはいない――失われた7日間を境に意識を失ったかつての生徒会長に向けて慧は言う。
「肩を並べて歩いても、人は互いに足を引っ張り合う。必要なのは敵を薙ぎ払い、導く強き指導者」
外した手袋をつけ直し、氷の様に冷たい声で彼は続ける。
「この学校に害を成すものは全て切り捨てる。例外なく、全てに」
不意に強い風が吹き抜け、慧の髪を揺らした。
その風に何の匂いも無い事に気づき、それも当然かと慧は得心する。
食事の匂いや花の香りなど、匂いは自然物の「生」の営みの中で生まれるものだ。
自然物が消滅する皐月院学区の夢世界に特権者以外の「生」の気配があるはずもなく、なるほどここは風も無機質になるのかと、慧は酷く興味無さそうに呟いた。