自由の舞い手は夢と踊るー夢路第一中学校・高校ー

ある者が尋ねた。
「夢とは何か?」
柳霧弓弦はこう答えた。
「可能性じゃ。あらゆる束縛や抑圧を受けず、己の心が示すままを思い描く」
なればこそ、と彼は言う。
なればこそ、夢路第一の生徒よ自由であれ、と。

窓から差し込むオレンジ色の光を受けて、柳霧弓弦は目蓋を開けた。

「ここは変わらぬのう。相も変わらず奇怪な所よ」

随分と奇妙な青年だった。
柔らかな目元に整った鼻筋と口元、白くすらりと伸びた身体。そこまではいい。問題は他にある。
学校指定の学ランの上から派手な赤の羽織りを肩にかけ、素足に履いているのは下駄。
口を開けば妙に古風な喋り方と中途半端な日本かぶれの外国人のよう。
更に不思議なのは違和感の塊でしかないのに、彼だとそれが自然であると思えてしまう事だ。
異質なその姿を受け入れさせてしまうだけの超然とした雰囲気を、弓弦は有していた。

「今日は随分と賑やかじゃのう」

革張りの椅子に腰かけた弓弦は押し殺した笑いを洩らす。
賑やかと言うが彼のいる夢路第一高校生徒会室には誰もいない。
それも当然。弓弦が「賑やか」と評したのは外部の事ではなく、彼の内面――意識の話。

文梅よ、そう何度もレテに謝っても奴らが攻撃を緩める事はないぞ。……とはいえ、さすがに一人は無謀じゃな。藍子、加勢してやってほしいのじゃが」

誰もいない室内で弓弦は次々に生徒の名前をあげる。虚空に向かって会話するなど普通なら正気を疑われるが、ここでそれを問題視する者などいない。
そもそも彼のいるこの空間自体、普通ではないのだから。
【夢世界】
夢路町にのみ存在する異世界。
地形は現実と鏡合わせだが、所々が歪んで狂った奇妙なもう一つの夢路町。
そんな夢世界に行き来可能な【特権者】たる弓弦もまた、普通ならざる力を行使出来る。
例えば――遠く離れた自校の生徒と視界を共有し、会話するといったような。

『彼女に加勢するのはいいのだけど、あっちも大分まずい状況だと思うわよ。会長さん』

先程弓弦が話しかけた五百機藍子の声を受けて彼女と視界を共有し、捉えた光景を確認する。
視えたのは黒いスライムの様な化け物【レテ】の群れに囲まれた2人の生徒。
二人とも学ランを着用していたが、赤い髪と瞳を持つ方の生徒は顔や身体つきからして少女だろう。

「さすがにこの数相手はまずいか」
「深蒼に手出しはさせない……」

前者は少年の、後者は少女のもの。見た目は多少違うが共に弓を持ち果敢に戦ってるものの、少しずつ数の暴力に押され始めている。

『どちらに行くか、考えるの面倒になってきたわ。とりあえず戦ってきて良いかしら』
「そう急くでないわ。お主は文梅の加勢じゃ」

テレビのチャンネルを変えるかの如く共有する視界を藍子から深蒼に変え、椅子から立ち上がった弓弦の足元でカロン、と下駄が鳴る。

「ミカ、お主の特権を借りるぞ」

弓弦の右掌から数センチ上に校章と同じ紋様が浮かび上がる。
立体投射機で映したように宙に浮かび、仄かに光りながら回るそれは彼だけに――夢路第一高校生徒会長である柳霧弓弦だけに与えられた特権。
自校生徒の特権に介入し、行使する。『天上の指し手』と呼ばれるその力。

「まずは道が必要じゃの」

弓弦が紋様を強く握りこむと、視界を一瞬奪うほどの白光が拳の中から零れる。同時に共有した視界の上空から突如鉄の柱が出現して真下にいたレテを挽き潰した。

「深蒼、深紅。主らはそこから離脱せよ」

深蒼が深紅と鉄柱を橋代わりにレテの包囲網から脱出したのを見届け、弓弦はおもむろに立ち上がった。
再び鉄柱を召喚してレテの進路を妨害するようにを叩きこみ、弓弦は背後にはめられた窓からひらりと外に身を躍らせる。
生徒会室があるのは2階。緑の髪と派手な羽織りが下からの風を受けてふわりと舞う中、彼はにやりと含み笑いを浮かべる。

「仕上げといこうかの」

彼の瞳に映る二つの世界は、距離や向きは違えど同じものを捉えていた。
一つ。深蒼を共有した視界の先で、柱の隙間から見えるレテの姿を。
もう一つ、柳霧弓弦本来の視界で、学校から直線に伸びる道の先で鉄柱の壁に囲まれ呻くレテの姿を。
肩にかけた羽織りごと音も無く着地した弓弦は握っていた拳を解き、虚空にある何かを掴むように手を差し出して告げる。

「出番じゃ『花桐』。舞の時間ぞ」

声に応じて足元に巨大な校章が出現。それは彼へ吸収される様に収縮しながら光の粒子へ姿を変え、差し伸べた手元で形を変える。
現れたのはひと振りの扇子。洗練された美しさのそれを握り、片手だけで開いてみせる。

「舞は万象を表す。今宵は風、全てを砕く暴虐の一振り――奔れ」

ほんの一閃。
扇子に生み出された風を限界まで強化し、触れたものを削り、薙ぎ倒す暴風へと変える。
轟然と襲いかかる風は一息の内に学校から伸びた道路を駆け抜け、柱の壁に囲まれたレテを呑みこんだ。
抵抗の隙を与えられぬままレテは柱で作られた壁に押しやられ、それでも収まらぬ風圧に潰され霧散する。

『旦那ぁ。力取って獲物を横取りした挙句に巻き込んで殺す気かい?』

呆れた様なミカの声が脳裏に届く。弓弦の放った風はほとんどがレテに直撃し、柱の壁にぶつかって勢いを失った。
だが風を操っている訳ではないのだから、その効果範囲は設定出来ない。
どうやらミカのいた場所は勢いを殺しきれなかった風のあおりを受けたらしい。
ミカの苦言に弓弦は懲りた様子を見せるどころか扇で自身の顔を煽いで笑ってみせる。

「あっはっはっは。怪我した訳でもなし、万事解決したのじゃから良いであろう」
『ひでぇ会長さんもいたもんだ』

軽口で返すミカに帰還するよう告げ、静かになった世界で弓弦は一人呟く。

「……足りぬのう。まだ、見えぬ」

昨年末最後の7日間の記憶が無くなった事に気づき、在校特権者達と記憶を集めてきたが、分かったのはほんの一部。
夢世界に関する部分だけを綺麗に削り取られている事への気味悪さを振り払う様に軽く頭を振り、弓弦は召喚した扇子を消す。
自分はあの7日間、確実に真実に近い所にいた。記憶は無くとも、削りきれない直感がそう囁いていた。

「“人は夢見るが故に可能性を持ち、それを奪うものと戦う事が己の役目”。椿会長、貴女の口癖でしたね」

普段のふざけた口調から一転、空寒さすら感じる声音で弓弦は言う。

「貴女の夢を、生徒の可能性を奪った奴を必ず引きずり出す。そのために――」

何かの面影を探すかのように己の右手に視線を落として呟いた言葉は途中で消える。
それから深く息を吐き、いつもの読めない微笑を口元に浮かべて彼は言う。

「初めの一手は間近に控えた3校会議かの。やれやれ、会長職も楽ではないのう」

呟くその足元で下駄がカロン、と鳴った。

このページのトップへ