女王は庭園を発つー聖フィアナ女学院中学校・高校ー

その部屋はいつも紅茶と薔薇の香りがほのかに満ちている。

「私、少しの間ここを離れますの」

染み一つない白いカップ三つに透き通った琥珀色の紅茶を注ぎ入れながら、紅羽は唐突に話を切り出した。

「三日ほどで戻ってくるとは思いますが、その間に何かありましたら個々で対処してくださいましね」

カップの一つを対面に座る花表さなえに、一つをその隣に座る雨水レインに差しだす。
最後の一つを手元によせて角砂糖を入れ、優雅な仕草でスプーンを回す紅羽を見ながら、レインは少し考え込む様な表情を見せた。

「つまり会長がここを離れると、“何か”があるってこと?」

ぴたり、とスプーンを回す紅羽の手が止まる。表情はいつもの柔らかい微笑のまま変わらなかったが、レインはその瞳の奥に何かの感情が走った様な気がした。
だがそれも一瞬の事で、紅羽はふと瞳を閉じると軽く肩をすくめてみせる。

「ただの保険ですわ。私が守って差し上げられたら良いのですけれど、生憎そうもいきそうにないので」

援護に頼る事が出来なくなる。だからいつも以上に気をつけろという事かと思考し、さなえは眉を寄せた。
歴代の生徒会長が3校会議に出るのは毎年の事だ。何せ交流という目的で毎年やっているのだから。
だが、さなえの記憶の中で今までこんな事を言われた記憶は無い。だからこそさなえは紅羽を真っ向から見つめ訊ねる。

「本当に、それだけかな?」
「――手に余るようでしたら連絡をお願いいたしますわ。すぐ戻りますので」

優しいながらも有無を許さない言葉。睨みつけられたわけでもないのに二人はそれ以上の追及が言葉にならなかった。
紅羽は強情な方だ。話さないと決めたら何が何でも明かそうとはしないと見て良い。
ただ同時に彼女の生徒を想う気持ちは本物だ。話さないのは悪意ではなく単に「今話す必要が無い」と判断しただけなのだろう。
微かな疑問を思考の端に残しながらも、さなえはそう自己解決してレインと共に生徒会室を後にした。

「……本来なら必要ない用心ですけれど」

誰も居なくなった生徒会室で、紅羽は呟いた。机には聖フィアナに在籍する特権者の名前と「連絡済」の項目が記された紙。その最後の空白、さなえとレインの名前の横にチェックをつけて席を立つ。

「(失われた7日間。その日を境に明らかにレテが急増している――)」

今までレテが出ていないわけではない。だが、今年に入って増加したのは特権者達の交戦状況を見ても明らかだ。その原因も解決法も全てはあるものに集約される。

「記憶……」
「あ、くれは先輩! これからお出かけ?」

下駄箱で独りごちる紅羽の背中を目ざとく見つけた久瀬比奈 麗の声。駆けよる彼女に、紅羽は表情を和らげて首肯する。

「えぇ、これから中央区の方に」
「いいなー! おみやげよろしくー!」
「ちょっとぉ! 走られたらどこ行ったか分からないじゃない!」

後から怒声と共に走ってきたのは八木ヶ谷 季佐。気の強そうな瞳が紅羽を捉えたかと思うと、値踏みする様にジト目に変わる。

「下剋上予定リスト一位の橘かいちょー……。貴女の天下はいつか私がプギュルッ!」

季佐の語尾がおかしなものになったのは麗が腕を首にからめたからだ。

「おーけーおーけー! こうすればはぐれないね! いくよー!」
「ちょ――ギブ――……」

消えそうな季佐の声など聞こえていないらしい麗はそのまま走り去っていく。止めるべきだっただろうかと考えつつ、その後ろ姿を見送った紅羽は校門へと歩を進める。

「――中央区にお土産になるようなものはあったかしら」

これもまた難題だと紅羽は誰に言うともなしにこぼした。

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