真夏の蜃気楼〜自由の踊り手の視る世界〜
「そういえばずっと気になってたんですけどぉ。その派手な羽織り熱くないですか?」音之屋 羽衣の問いかけに、弓弦は書面から顔を上げた。
視線をあげるなり飛び込んでくるのは個性的なマスク。顔立ちは決して悪くないのにインパクトを全てマスクに持っていかれる羽衣の事を、弓弦は笑えない。
なにせ彼の方が派手だ。
肩から腰にかけてを覆う深紅に鮮やかな柄の羽織り。視線という視線を引き付けるそれを弓弦は決して手放さない。
「熱いのう。着てみるかえ?」
「けひひひっ! 遠慮しときます」
一瞬で断られ、つれないのう、と弓弦はぼやくが心底残念だという風ではない。その様子を見ながら鷺ノ宮 紅は解せないという風に問いかけた。
「熱いなら脱げばいいじゃない。それともそういうのが好きなのかしら?」
「生憎“マゾ”の気はないのう。じゃが、これは取るわけにいかんのだ」
左手で右肩にかかる羽織を掴み、己に言い聞かせるように弓弦は言った。それ以上触れてくれるなと言うような声音に、それ以上の事を聞ける人はいなかった。
ほんの数瞬沈黙が落ちた後、弓弦は唐突に口を開いた。
「のう、主らは先々代の生徒会長を覚えておるか?」
「先々代……?」
紅は問いの真意が掴めずに隣に立つ匂坂螢に視線を向けた。だが、彼女も軽く肩を竦めただけだった。
先々代。つまりは矢纏会長の前の代。2年も前の生徒会長などいちいち記憶する生徒がいるだろうか?
「覚えておらぬなら構わぬよ。そんな事よりも影の話じゃ」
戸惑いの空気が漂い始めたのを悟ったのか、弓弦はパチンと扇子を鳴らして話を切りかえた。
「共学区に延びる線路。夢世界で謎の影が目撃されるという話があった。じゃが、影を見つけても追うでない」
「失われた7日間を探すって話はどこにいったね?」
明らかな「異変」を放っておくというのは失われた7日間を放っておく事と同じではないか、と螢は言外に告げる。だが弓弦は動じる様子も無く応えた。
「虎穴に入らずんば虎児を得ずといえど、無策で突撃をするほど我は人生に悲観も楽観もしておらぬからのう」
正論だが、どうにもそれだけが理由ではない気が螢にはしていた。だがこれ以上の追及も無意味だ。
螢がそう結論付けたのを知ってか知らずか、弓弦はくすりと笑って畳んだ扇子で自らの肩を叩いた。
「まぁ小休止というやつじゃ。たまには実家に帰って元気な姿を見せてやるのも良かろ」
・・・
「やはり誰も覚えておらぬか。まぁ、当然と言えば当然かのう……」
誰も居なくなった生徒会室で、弓弦はどこか寂しそうに呟いた。口元に扇子をあて、微かに瞳を細める。
「彩月、橘、何故その選択をしたのじゃ。それは主らを苦しめるだけと分かっておろうに――」
そこまで言った弓弦はハッと顔を上げ、次の瞬間には意識を夢世界に向ける。意識を集中して繋いだ視界は、線路に向かって一心不乱に走る光景が映っていた。
「駄目だ。あぁ、駄目だ。行くな。行ってはならぬ……っ」
障害物を避け、小石に足を取られそうになりながら、共有した視界の持ち主は何かを追う様に必死に走る。
弓弦の目には何も見えていないというのに。
「そこは主らのいるべきところではない。視てはならぬ、行ってはならぬ! 帰ってこい――っ!」
飄々としたいつもの彼とは想像もつかないほど弓弦は真剣に、切迫した声をあげる。
どこかでそれを、くすくすと嗤う声がした。